なぜブラジルなのか

なぜブラジルが留学先に最適なのか
なぜサッカー王国と呼ばれるのか・独自のサッカー文化・日本語でのサポートなど

なぜブラジルはサッカー王国と呼ばれるのか

1960年代のサンパウロでは、子供たちが道路や路地裏でボロボロのボールを蹴って遊んでいた。
コンクリートの路面や石畳でも裸足は当たり前。空地が有れば竹や倒木等でゴールを作り、コート<=カンポ>が突然出来上がる。
スパイク等はないし、脛当てもない。運動靴まがいの物を履いていれば良い方だった。
裸足の子共たちに大人も交じって無心に遊んでいた。暗くなっても帰らない。これが草サッカーの原点だ。
これらの草サッカーやストリートサッカーは、ボールを持っている子を誘って始まる。田舎の方ではヤシの実を4個置けば、それがゴールである。
マナウス(アマゾナス)では、バスさえよけて通っていたものだ。デコボコの広場や砂浜も、彼等には立派なカンポだ。ボールがあれば子供も大人もない。ストリートサッカーでは建物の壁も味方となる。6歳くらいの子供でさえ、教わることなく壁パスを使い、ワンツーで抜いてくる。日常に行われている環境がそれを常識にしている。
リオの海岸は格好のグランドである。ビーチサッカーやフットバレーでにぎわう海岸沿いには、100近い、いや数えきれないほどのフッテボールサロン(現在のフットサルコート)が続いている。コンクリートのコートに、裸足で上半身裸の光景をしばしば目にする。
このビーチ(コパカバーナ)は午後になると、かつてロマーリオやジュニオールたちの遊び場となっていたこともある。
ビーチサッカーでもカンポでも、ボールさえ有れば遊びと練習が一体となる。

このような環境で育つ選手たちには大人も子供も関係無く、勝つためにあらゆる工夫をしてテクニックを身につけることが必要なのだ。
子供は大人にボールを奪われたくない。体力や身長では負けるが、足下なら同じ条件である。だから高いボールを使わないで、足下のプレーを身につける。逆に大人は、体格とパワ-で勝り、浮き球でかわす。ここでも、勝負にこだわることで得点力を養い、それが技術の向上につながることが解る。
もちろん子供達にはアドバンス効果が生まれ、個人の技術の修得の場となっている。
大人と子供が本気でやる草サッカーが、大切な選手育成の場であり、ボールタッチ向上や勝負への強いこだわり、誰とでも戦えるメンタリティーを育む場になっている。

この環境こそがブラジルがサッカー王国と呼ばれる所以である。

独自のサッカー文化はなぜ生まれたのか

ブラジル人独特の、フェイントやドリブル、リズミカルな動作、身のこなしはどのようにしたら身につくのだろうか?
どのようにして身につけたのだろうか?
それを知るためにはブラジルの国の成り立ちについて少し知って頂く必要があると思う。
ブラジルはかつてポルトガルの植民地であり、宗主国ポルトガルの圧政から独立と奴隷制廃止を勝ち取ったのだが、その戦いの中で活用された武術<カポエラ>がある。このカポエラこそがブラジルサッカーの華麗なテクニック、リズム感 身のこなしの原点である。
カポエラは武器を持たないで戦うことが基本で、相手に触らないで変幻自在に手足を動かし、バランスを失うことなく相手を幻惑する武術である。それをジンガ<=幻惑術、あるいはその術を使う人の意>と呼ぶ。
フッチボールに置き換えれば、これがブラジル人選手のフェイントやドリブル等の動きの中に備わっているのである。最近の選手では、デニウソン、ロナウジーニョ、ホビーニョ、ネイマール等をよく見れば誰でもわかると思う。ボールに触れない上体や手足の動きがフェイントであり、ブラジルに生まれればジンガを持っていると言われている。様々な道具で打楽器を創りリズムを創りだしたのがサンバであり、サンバはマンボとボサノバのミックスした音楽である。そのリズムに踊りが加わり、より一層効果を増すことになった。カポエラ・ジンガ・サンバは一体でありブラジルのフッチボールから切っても切り離せない存在である。ジンガとサンバこそが独創的なドリブルやフェイントを生み出す母体となっているのだ。

歴代のユニークな選手達

1950〜70年代ペレ(Pelé)FW「サッカーの王様」。W杯を3度制覇し、通算1000ゴール以上を記録。
1950〜70年代ガリンシャ(Garrincha)FW「孤高の天才ドリブラー」。独特のステップでペレと共にW杯連覇を達成。
1950〜70年代カルロス・アルベルト(Carlos Alberto)右SB1970年W杯の伝説的キャプテン。決勝戦での美しいゴールが有名。
1950〜70年代リベリーノ(Rivelino)MF強烈な左足と、魔術的なフェイント技「エラシコ」の始祖。
1980年代ジーコ(Zico)MF「白いペレ」。黄金のカルテットの核であり、後に日本代表監督も経験。
1980年代ソクラテス(Sócrates)MF高い知性と長身を活かした、エレガントなヒールパス連発のゲームメイカー。
1990年代アウダイール(Aldair)CB冷静沈着なカバーリングと確かな技術で、1994年W杯優勝を支えたCB。
1990年代ロマーリオ(Romário)FWペナルティエリア内の圧倒的な嗅覚を持つ、1994年W杯優勝の立役者。
1990〜00年代カフー(Cafu)右SB史上唯一、W杯決勝に3大会連続で出場したスタミナ抜群の鉄人。
1990〜00年代ロベルト・カルロス(Roberto Carlos)左SB「悪魔の左足」を持つ超攻撃的SB。時速140km超のFKが武器。
1990〜00年代リバウド(Rivaldo)MF / FW類稀なキック精度を持つ、2002年W杯優勝「3R」の一角。
1990〜00年代ロナウド(Ronaldo)FW「怪物(フェノメノ)」。圧倒的な速度と得点力を持つ2002年W杯得点王。
2000年代ルシオ(Lúcio)CB2002年W杯優勝メンバー。前線へ猛然と攻め上がる攻撃的CB。
2000年代ロナウジーニョ(Ronaldinho)MF / FW変幻自在のテクニックで世界を魅了した、常に笑顔のサッカー魔術師。
2000年代カカ(Kaká)MF圧倒的なスピードの快速ドリブルで世界最優秀選手に輝いたレジェンド。
2000〜10年代ダニ・アウベス(Dani Alves)右SB卓越したパスセンスを誇り、サッカー史上最多クラスのタイトルを獲得。
2010年代〜現在チアゴ・シウバ(Thiago Silva)CB圧倒的な危機察知能力と統率力で長年守備に君臨した「怪物」。
2010年代〜現在ネイマール(Neymar Jr.)FW現代の至宝。ペレを超えるブラジル代表通算最多得点記録を樹立。
2010年代〜現在マルキーニョス(Marquinhos)CBチアゴ・シウバの後継者として、現代の守備陣を引っ張る安定のCB。

ブラジルと日本の関係性

ブラジルは1900年初頭から日本移民を受け入れ、その移民たちがブラジルの経済発展に寄与してきたことから、日本人はブラジル国内にて尊敬を集めるようになり、重要なポストに就くようになった。そういう経緯からブラジルは世界でも有数の親日国と言われている。


ブラジルから日本へ

最初に日本へ来たクラブはマドレーラEC(リオ)というチームで、華麗なテクニックで日本のサッカー関係者を魅了し、それ以降サッカー=ブラジルというイメージを日本に植え付けた。その後、セルジオ越後、ラモス瑠偉、ジーコなどの活躍により、そのイメージは確固としたものとなる


日本からブラジルへ

キャプテン翼のモデルとも言われている水島武蔵がサンパウロへ加入したのをきっかけとして、三浦知良(カズ)がサントスへ加入し活躍。その後、中澤佑二などもブラジル留学をきっかけに日本代表まで登り詰めた。また、現地の日系2世、3世もプロリーグで活躍している。ロドリゴ田端はサントスの10番を背負い活躍した。